愁雲横四野。天或吊忠魂。慙愧煩夫卒。檻車入島根。雲見途上作 源居正

(愁雲四野に横たわり 天或いは忠魂を吊うか 慙愧す夫卒を煩わすと 檻車もて島根に入る)

 奥平謙輔/オクダイラケンスケ

五言詩天保12(1841)~明治9(1876)

 戊辰戦争で前原一誠らと共に干城隊に属し、越後(現・新潟県)で戦闘に参加した。戊辰戦争後には越後府権判事となり、前原に相談しながら佐渡の島民のために尽力したが政府の意見と合わず、明治2(1866)年に故郷の萩(山口県)に帰る。翌年に辞職し帰郷してきた前原と共に不平士族から指導者と仰がれ、明治9(1876)年に前原らと共に萩の乱を起こした。

 戦況は悪く、仲間と船で日本海を北上する途中、シケのため立ち寄った島根県簸川郡大社町・宇龍港で捕らえられた(11月5日夕方)。その夜は大社・藤村家で一泊し、翌6日松江に護送される途中に平田・本木佐家で一泊した。

 道中の雲見峠(大社町)で作った詩が今も残されている。松江での取り調べが終わると萩へ護送され、再び取り調べを受ける。

 12月3日に除族・斬罪の宣告を受け、ただちに処刑された。