書画
[増上寺宛書簡]:初代 松平直政 ほか12点
近世初頭、中国地方は毛利氏の支配下にあったが、関ヶ原の戦の責任で領土を取り上げられ周防(現・山口県東部)・長門(現・山口県西部、北部)に転封となる。代わって堀尾忠氏(ホリオタダウジ)が領主として入国したことで松江藩が成立する。
松江城は、秀吉の旧臣で家康に従った堀尾吉晴(ヨシハル)が慶長12(1607)年から着工、16(1611)年に完成させた城だが第三代忠晴(タダハル)に後継ぎがなく堀尾家は断絶、次に京極忠高が藩主となるが病死して京極家も一代で断絶。
寛永15(1638)年に直政が藩主となり、明治維新まで松平氏の治世が続くこととなる。
- [増上寺宛書簡]:初代 松平直政 345mm×568mm
- [藤画賛]:ニ代 松平綱隆 288mm×428mm
- [和歌短冊]:三代 松平綱近 万治2(1659)~宝永6(1709)
- [和歌短冊]:四代 松平吉透 寛文8(1668)~宝永2(1705)
- [竹一字]:五代 松平宣維 864mm×271mm
- [発句和歌短冊色紙]:六代 松平宗衍 418mm×506mm
- [墨画山水図]:七代 松平治郷 367mm×630mm
- [発句短冊]:八代 松平斎恒 寛政3(1791)~文政5(1822)
- [盃図]:九代 松平斎貴 335mm×535mm
- [七言詩]:西園寺公望 明治元(1868)1380mm×440mm
- [七言詩]:前原一誠 明治9(1876)1120mm×310mm
- [五言詩]:奥平謙輔 明治9(1876)1120mm×310mm