近世初頭、中国地方は毛利氏の支配下にあったが、関ヶ原の戦の責任で領土を取り上げられ周防(現・山口県東部)・長門(現・山口県西部、北部)に転封となる。代わって堀尾忠氏(ホリオタダウジ)が領主として入国したことで松江藩が成立する。

 松江城は、秀吉の旧臣で家康に従った堀尾吉晴(ヨシハル)が慶長12(1607)年から着工、16(1611)年に完成させた城だが第三代忠晴(タダハル)に後継ぎがなく堀尾家は断絶、次に京極忠高が藩主となるが病死して京極家も一代で断絶。

 寛永15(1638)年に直政が藩主となり、明治維新まで松平氏の治世が続くこととなる。