藤画賛

よ所にみてかへらむ ひとに不ちの花 者日事と八礼よゑだ 波おると裳

(よそにみてからへむ ひとに藤の花 わびしと晴れよ枝 は折るとも)

第二代松江藩主 松平綱隆/マツダイラツナタカ

寛永8(1631)~延宝3(1675)

 初代直政の長男として江戸で誕生。幼名は久松丸。四代将軍家綱(イエツナ)の一字を貰い綱隆と名乗る。寛文6(1666)年、直政の死去により36歳で家督を継ぐ。

 幕府の許可を得て弟近栄(チカヨシ)を広瀬藩主(広瀬/ヒロセ=現・能義郡広瀬町)に、末弟隆政(タカマサ)を母里藩主(母里=現・島根県能義郡伯太町)に任じる。

 延宝3(1675)年に急病のため松江で死去。45歳。月照寺(島根県松江市)に葬られる。