山路にたとり那か免て思哉 浮世農悲登濃心なか世を

(山みちにたどりながめて思うかな 浮世のひとの心なかせを)

第三代松江藩主 松平綱近/マツダイラツナチカ

和歌短冊万治2(1659)~宝永6(1709)

 第二代綱隆の四男として江戸で誕生。幼名は萬助。

 四代将軍家綱(イエツナ)の一字を貰い綱周と名乗ったが、後に綱近と改める。延宝3(1675)年綱隆の死去により17歳で家督を継ぐ。

 この頃出雲地方では災害が続き、元禄元(1688)年の水害時には藩主自ら船で巡視し、被災者の救済にあたった。

 宝永元(1704)年、眼疾のため弟吉透(ヨシトオ)を養子にして後継ぎとし、自らは退隠する。宝永6(1709)年に松江で死去。51歳。月照寺(島根県松江市)