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発句和歌短冊色紙江戸と京日より問合月見哉

(江戸と京日和問い合う月見かな)雪泄

[左]
す〃しや登草む良 ことに堂ちよ連八安津 さ楚万佐る床な徒濃はな

(すずしやと草むら ことにたちよればあつさぞまさるとこなつのはな) 

 

第六代松江藩主 松平宗衍/マツダイラムネノブ

享保14(1729)~天明2(1782)

 五代宣維の長男として江戸で誕生。幼名は幸千代。八代将軍吉宗(ヨシムネ)の一字を貰い宗衍と名乗る。

 享保16(1731)年、父宣維の死去により3歳で家督を継ぐ。この時幕府は福井・明石・前橋の松平家一族に後見を命じた。この翌年に前代未聞の大飢饉、その後も災害が続いて藩財政が窮迫。延享4(1747)年に家老政治を廃止し藩主親政にのり出す。

 中老小田切備中尚足(オダギリビッチュウヒサタリ)を補佐役として財政を建て直そうとしたが失敗。その後幕府からの比叡山山門普請の助成命令が藩財政に決定的な打撃を与えた。そこで家老朝日丹波(アサヒタンバ)を仕置役として財政を建て直し、改革を進める。

 明和4(1767)年に財政窮乏の責任をとり退隠、治郷(ハルサト)に代を譲り、その後剃髪して南海と号した。

 天明2(1782)年に死去。54歳。天徳寺に葬られたが、後に月照寺(島根県松江市)に移葬された。 発句和歌短冊色紙