盃図
盃図 [盃図]:九代 松平斎貴 335mm×535mm

第九代松江藩主 松平斎貴/マツダイラナリタカ

文化12(1815)~文久3(1863)

 八代斎恒の長男として江戸で誕生。幼名は鶴太郎。11代将軍家斎(イエナリ)の一字を貰い斎貴と名乗る。文政5(1822)年、父斎恒の死去により8歳で家督を継ぐ。

 父の遺志を継ぎ「出雲板延喜式」を完成させ幕府に献上する。この時期松江藩に入りだした西洋の砲術・医術等に興味を示し、特に時計の収集家としては有名。

 一方で鷹狩や相撲も好み、雷電為右衛門(ライデンタメエモン)などの藩力士を抱えた。この状況を見かねた親戚から引退を迫られ、津山藩主松平斎孝(ナリタカ=第三代広瀬藩主松平近朝(チカトモ)の次男)の四男済三郎(=定安/サダヤス)を養子に迎え、娘と結婚させて代を譲り、その後剃髪して斉斎、瑤光翁と号した。

 藩主としての評判はよくなかったが、斎貴の西洋好みは松江藩の近代化の礎となった。

 文久3(1863)年に江戸で死去。49歳。天徳寺(東京都)に葬られたが、後に月照寺(島根県松江市)に移葬された。  

 ※広瀬藩=現・島根県能義郡広瀬町。 ※津山藩=現・岡山県北東部。