来宿南洋第幾湾。涛声拍枕夢魂還。起憑欄角無涯恨。月照顔翁埋骨山。

(来り宿す南洋の第幾湾 涛声枕を拍ち夢魂還る 起て欄角に憑れば涯恨無く 月は照す顔翁埋骨山) 

西園寺公望/サイオンジキンモチ

七言詩嘉永2(1849)~昭和15(1940)

 藤原鎌足の末裔公卿西園寺師季の次男として京都で誕生。幼少の頃に西園寺家を継ぐ。

 明治元(1868)年1月、幕末からの地方の動乱を鎮めることと各藩の新政府に対する意思確認のため、明治新政府から山陰道鎮撫(チンブ)総督に任命され京都から山陰道を通り松江藩に入る。

 この時「山陰道鎮撫使事件」といわれる騒動が起きたが無事解決した。その後、越後府知事時代には干城隊副総督として北越(現・新潟県)に出征していた前原一誠(マエバライッセイ)と共に人心の安定に努めた。

 外国に留学し、帰国後新しい政治家として登場する。

 明治39(1906)年には内閣総理大臣となる。勇退後は悠悠自適に文墨の生活を送る。 昭和15(1940)年死去。